そして、キリンもしんだ

最近、アムステルダム動物園の話が物議を呼びましたが。。

頭数制限をしないと、成育環境がベストに保てない。最高の環境を整えることが動物の幸せに通ずる。なので、必要頭数以上の動物は痛みも何も感じさせず、瞬時に銃殺、その死骸は、教育の為、解体するのだとか。
たまたま、CNN の放送で、園長とアナウンサーとのやり取りを見てました。
園長の考えというのは一貫してぶれてない、徹底して一貫してましたね。

もともと、狩猟の文化があれば、動物を銃で撃つことは、日常あるでしょう。それが、生活手段であれば尚のこと。という論説もありました。

こないだ、こんな歌を聴きましたよ。北欧の昔から伝わる猟師の唄。

♪お前を撃つけれど、仕方ない。
お前が私たちの領域に入ってきたのだから。。仕方がないのだ。

私はお前を喰らう。
わたしは、お前の素晴らしい視覚が欲しい。

私はお前を喰らう。
わたしは、お前の素晴らしい聴覚が欲しい。

私はお前を喰らう。
わたしは、お前の素晴らしい味覚が欲しい。
・・・・・・

唄は、延々、熊の野生の力を讃え、続く。

それは、撃ってしまった野生の熊に寄せる畏敬と哀悼の念に溢れていた。
遠い北欧の唄は、東洋の違う文化のわたしの心の奥底まで共鳴してくるのでした。

今、何が正しいかの前に、人が忘れてしまったものがある。
そう思えてなりません。

だから、いくら理屈が通っても、心が通せんぼしてしまう。

トンキーの絵本は、ご近所の絵本作家の田辺さんに頂きました。
言葉少なく優しいおじいさまです。

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絵本のあとがきに、戦争中のことではありますが、、何の罪もない動物を殺処分しなければならないその苦悩、又、人間の友だちとして大事に飼っている動物、という記述があります。

もし、田辺さんのおじいさまが、アムステルダム動物園のキリンのお話を書くとしたら、どんな絵本になるでしょうね。

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